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Iyo_summary 伊豫砥石概要
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伊豫砥石産業については、いずれ世界遺産の注目するところになる事かと思います。 砥石産業最古の地。 シルクロードの終焉の地 極東の離島。 鉄器文明圏において最終伝来。 文字すら知らない未開のさいはて。 にもかかわらず、古代飛鳥朝において既に最上級の鉄器を繰り、精巧な仕口やなだらかな反りをもつ深い軒を具現化でき、それは1,500年以上の風雪に耐えることができる塔の建立を可能としたこと。 大陸と半島の工匠への感謝も忘れてはいけません。 古代の終わり。中世の始まりには山城國神護寺領内菖蒲谷銘砥の発見が祖先にとって一振りに命を賭すべし日本刀を完成させ700年近く、刀の時代へと推し進めたこと。 最強の鉄器は、最強の刃物を産み、思いのままのモノづくりを体現させることができ、今日のモノづくり国家としての認知へと押し上げたのです。 さて、鉄器文明圏において最終伝来。 文字すら知らない未開のさいはて。 にもかかわらずです。 これは、明らかに異常事態に見えるでしょう。 国土の8割を山岳地帯に占有され、その烈しい造山活動にもたらされる多くの災害を忍耐と協調・おもいやりをもって乗り越えなければならないことは、生まれながらにして当たり前に教えられてきたこと。 その対価として、世のどこにもない最強の砥石資源や森林資源を手にすることができ、それは世のどこにもない鉄器文明の発展の原動力となったのです。 鉄器文明圏において最終伝来。 文字すら知らない未開のさいはて。 かの地は、弥生末期に鉄器を手に出来たと聞きますが、なんと鉄鉱石もほぼ取れません。 そして663年白村江の戦以降の内製化つまり、砂鉄をもちいるという独自の製鉄という唯一の選択肢により、この文明圏において両手両足をもがれるような更なる窮地へ追い込まれるのです。 しかしこの同じ古代ころの建築はこの多雨多湿で災害の多い地でも今なお佇んでいるではありませんか? つまり、良い鉄器、良い刃物は存在できたということ。 鉄器の維持存続と開発を下支えする強く替え難い原動力というのは、祖先のたゆまぬ努力と砥石のチカラにほかならず、すでに古代に辿り着けていたということ。 火成岩>火山岩>流紋岩 の変性した砥石に属する伊豫砥は、いつの時代も畏怖の対象である天災の落とし子そのもの。 世の最強の物量、最古の歴史はつい昨日、20世紀まで続く鉄器文明を醸成させるゆりかごだということ。 天災の落とし子なくして日本国なし。 19世紀末ようやく開発された普及価格で高性能な人造砥石により、練り物構造に属する。つまり、葉理構造と片理則に極まる山城国粘板岩系砥石以外の働きは置き換えられ一度は各地の多くの砥石産業は終わりを迎えした。 研ぎのもつ切れるように繕いするという大目的は、実務級において容易に達成できるのですから。 しかし、祖先にとっては日々の生活の中であたりまえな所作であった研ぎへの想いと苦労を酌みながら、いま研鑽をつみ、現代人が忘れてしまったといえる彼らの秀でたところや豊かさに想像力を働かせる。つまり研ぎを追い求めるには、同じく忘れてしまった砥石にも触れることもよいかと思います。 人智が大いに伸びゆき、物量的・性能的に豊かな時代だからこそ、忘れられたモノを思い出す地道な作業から精神的な豊かさを探り当てる。そしてそれはいづれ本当の豊かさへとたどり着く糸口になればと希望しています。 過去は変えられないし現在はその積算です。 そういうものが、最も詰まっているのです。 伊豫砥石には。 現代の通貨換金性資源価値としては、砥石は非常に弱いです。 同様に原油は現代強く、過去は弱い。 けれども人類のゆりかごでいう資源価値は、いかに太いものなのかは理解できるかと思います。 実は資源超大国。研ぎと同じくいろいろな角度から物事を探ると面白く過ごせるかもしれません。 効果・・・ 3 |
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